児童・生徒翻訳コンテスト提出作品についての審査員の講評

12 октября 2018

Tetsuo MOCHIZUKI

Тэцуо Мотидзуки
Председатель жюри
Почетный профессор Центра славянско-евразийских исследований Университета Хоккайдо,

 

全体の講評
望月哲男
今回の翻訳コンクールの審査は、私にとって大変新鮮な経験でした。
なによりもこんなにも多くの若い方々が、ロシア語から日本語への翻訳に興味を持って、真剣に取り組んでくれたということが、うれしい驚きでした。ごく年少の方々から高校生くらいの方々まで、それぞれの知識・能力・想像力を十分に発揮して、個性あふれる訳を見せてくれました。
一人でたくさんの文章を翻訳したり、あえて長く複雑な作品に取り組んだりする方がいる一方で、一つの訳文を丁寧に仕上げようとしている方もいました。一つ一つの単語を忠実に訳そうとする方がいる一方で、よりよい効果を求めてあえて冒険的な訳文に挑戦しようとする方もいました。擬音語や擬態語の訳し方を含めて、工夫の仕方はいろいろあるものですね。 結果としての訳には、正確さや日本語としての出来ばえの点で優劣がありましたが、お仕着せのつまらない訳は一つもなかったと思います。そのことをとても感謝し、喜んでいます。

個別のコメントはあえて避けますが、全般的に気づいた点を以下二点ほど述べさせていただきます。私たちも翻訳をしていて、常に難しい問題にぶつかるのですが、以下のことはそうした個人的な経験とも共通することで、恐らく皆さんの参考になるかと思います。

1) 文章を細かく、ていねいに見る:
文章はやはり細かな部分からできているので、細部の意味が正確にとらえられていないと、訳文も正確になりません。今回の課題となった文章も、短いものから長いものまで、必ず訳の要となるような、大事な表現を含んでいます。

例えば «Вкусно?»という文章では、以下のような点がポイントになります(参考までに直訳に近い訳をつけます)。
И обезьяны, и первые люди тоже искали...
猿も原始人も、同じように・・・を探し求めていました
Ведь сладкое – скорее всего, съедобное!
だって(=なぜなら)甘いものは(なら)食べられる(ものだという)可能性が高い(=きっと食べられるに違いない)からです!
А вот кислый вкус может означать, что плод не поспел.
ところが(一方)酸っぱい味(がするということ)は、その果実が未熟だということを意味している可能性があるのです。(意訳=酸っぱい果物はおそらく未熟で食べられない)
Считается, что существует четыре вкуса...
味には四種類あると考えられています。
Это вкус обещает человеку сытную пищу.
この味は人間においしい食べ物を約束するものです。Сытныйはここでは「栄養たっぷりの」(питательный)ではなく、「おいしい」(вкусный)の意味でしょう。

«Кораблик-непоседка»はこれより少し易しいですが、それでも以下のようなポイントがあります。
Кораблику скучно было стоять в гавани.
小舟は湾(入り江)の中でじっとして (=動かずに、停泊して)いるのが退屈だった。指小名詞Корабликはここではきちんと小さなものとして訳しましょう。ボートと訳している人もいました。
Как здорово плыть наперегонки с дельфинами!
イルカと競走する(追いかけっこをする)のはなんと楽しいんだろう!
Вдруг подул ветер
急に風が吹きはじめ(起こって) по-は動作の始まりを表します。
Но тут тучи прорезал яркий луч маяка.
だがその時、雨雲(黒雲)を一筋の明るい灯台の光が貫いた。目的語と主語がひっくり返った倒置文です。
Кораблик поплыл на свет маяка.
小舟は灯台の光を目指して進み始めた。
И скоро снова оказался в гавани.
やがてまた湾の中に戻っていた。Оказалсяは「(気がついたら)~にいた、~だった」という結果を表します。

«Зуб»はもっと難しい慣用表現が多く、若干だけ挙げれば:
По дороге в детский сад я его всё трогал, трогал языком и никак не мог остановиться.
幼稚園へ行く途中、僕はその歯をずっと舌で触り続けていて、どうしてもやめられなかった。
все сразу захотели на него посмотреть и по очереди шатали, пока он не стал болтаться, как на ниточке.
みんな一斉にその歯を見たがって、かわるがわる動かしたので、しまいにはその歯が一本の糸だけでくっついているみたいにグラグラになってしまった。
к десяти годам они все выпадут
九歳になるころまでに(歯が)全部抜ける
といったところが翻訳に注意が必要な点です。

強調や誇張の表現をどう訳すのかもポイントです。
一つは繰り返し。
«В магазине»には次のような個所があります。
Много-много разных отделов в магазине: и фрукты, и огурцы всякие, печенье, конфеты, яйца, колбаса, чай, и люди, люди, люди.
最初の部分は「たくさんのたくさんのいろんな・・・・・・」でも「すごくいっぱいのいろんな・・・・・・」でもいいでしょう。二番目は「果物もキュウリもいろんな種類があって・・・・・・」、最後は「それから人、人、人(の波)」とか「買い物客もいっぱい」などというところでしょうか。とにかく強調だということを意識して訳してください。
同じ文章のЯ, большой и смелый, иду впереди.というのも、誇張を伴ったユーモラスな表現で、「僕はもう大きいから勇ましく(=大人になったつもりで大胆に)前に立って歩いて行った」といった意味でしょうか。
закричал я так громко, что чуть не оглох.(耳が(ガーンとして)聞こえなくなるほどの大声でわめきだした)も誇張表現ですね。

指示語や代名詞の訳し方もポイントです。
«День рождения»にはслонёнок(赤ちゃん象)がいろんなものを指さして- Это что?とお母さんにたずねるところがあります。
指さすものが木や鳥だったら、「これは何?」か「あれは何?」か、両方あるでしょうが、空や山だったら「あれは何?」です。話している人と対象の位置関係や距離次第ですね。
代名詞については、ロシア語の場合(ヨーロッパ言語は皆そうですが)お父さんでも兄さんでも先生でもон, お母さんでもお婆さんでもонаと代名詞標記されますが、日本語に訳す場合は、おそらく彼とか彼女とかと訳さない方がいい場合が多いですね。

以上はほんの一部ですが、こうした細かな要素を正確に訳すことを心がければ、訳の精度がどんどん上がると思います。

2) 全体を見る、全体の中で見る:
細かい部分そのものに気を付けるだけでなく、部分の関係に目を配り、全体を見なければうまく訳せないことも多いです。
まず形式的なことを言えば、文体の問題があります。
地の文と会話や引用の部分では違いますが、いずれにしても、誰の視点から文が書かれているかという設定をはっきり意識してから、訳をした方がいいと思います。
地の文は、「ですます体」か「~だ」という形にするか、どちらかに統一するべきで、混ざってはいけません。でも会話などの部分は、その縛りから自由にして、話している人の口調や文体で表現すべきでしょう。

となり合う文どうしの関係にも目を配るべきです。ロシア語でも日本語でも必ずしも文の関係を表す接続詞などが書かれてはいませんが、実際には文と文との間には複雑で微妙な関係があります。«Внуки»には次のような部分があります。
‒ Нет, бабушка, это я и Кит, – говорю я.
「違う、お婆ちゃん、それは僕とキートだよ」と僕は言った。
Бабушка отвечает, что мы и есть ее внуки.
お婆さんは、そのお前たち(こそ)が私(お婆ちゃん)から見れば孫なんだよ、と答えた。
こういう箇所は、単に一文ずつの意味を訳すだけでは不足になります。

文を全体として訳すときに、場面を光景として思い浮かべ、登場人物たちのいる位置や距離関係を想像しながら訳すのも大事なことです。
特に運動や視点の移動がポイントになっている文章(«Кораблик-непоседка» «В магазине» «Царь зверей»)や主語の交代・場面転換が多い文章(«Внуки» «Божьи коровки»)では、今の場面はどこで、誰の視点から語られているのかという状況の把握が大事になります。
上に述べたような、Этоの訳を「これ」「あれ」「それ」のどれにするかという判断も、場面や視点のありかたをどのようにイメージするかにかかわっています。

現在形で訳すか、過去形で訳すかという判断も、場面のイメージを大きくつかむことと関連します。日本語もロシア語も、形式的には過去形と現在形が混じって現れることができる言葉ですが、全体が過去の出来事として語られているのか、現在形で一般的な事柄として語られているのかは、きちんとつかんでおく必要があります。
「ある時僕はお婆さんとお店に行った」と始まる«В магазине»は、全体が過去のことです。«Каша «Коля»»は「本物のヘラクレスを作るには・・・・・・」という現在形の説明文で始まりますが、すぐに「『味はどうだい?』とお父さんは言った」という、過去形の物語になります。

一番の課題は、その文章がどんな部分からできていて、主な狙い(趣旨)はどんなことであり、山場になるのはどこかという、文章の仕組みを知ることです。
«В магазине»や«Внуки»などでは、少年とお婆さんのそれぞれ自分に対するイメージの持ち方の違いがほのぼのとしたユーモアを生んでいます。主人公の自分についてのイメージや自己主張のあり方が動いたり変わったりするところがポイントでしょう。ロシアのアネクドートの語り口を意識したらいいと思います。
«Каша «Коля»»や«Божьи коровки»、また «Балбес» «Вор»などの作品は、すこしナンセンスな(ありえないような)仮定や誇張がちょっとブラックなユーモアを生んでいます。テンポと歯切れのいい、声に出して読みやすい文章に訳すと一番いいですね。
«Кораблик-непоседка»や«Царь зверей»は、一種の教訓を含んだたとえ話(寓話)です。小舟の物語は、「楽しい冒険」「災難・不幸」「元に戻る(安心)=教訓」といった3つほどの部分からできていて、最後がオチになっています。動物の王様の話は、ちょうど「イワンのバカ」の話のように、立派そうな者や強そうな者が失敗した後に地味で穏やかな者が成功するという三部構造です。しかしこの話も、部分部分を見ると、それぞれが成功・失敗・教訓といった小さな部分からできていることが分かります。このような、パターンの繰り返しをうまく、リズミカルに訳に反映出来たら楽しいですね。

全体を見ることの象徴として、題名を大事にということも言っておきましょう。
今回の訳では、原文の題名を訳してない人が何人もいました。これはもったいないことですから、ぜひ気を付けてください。題名は、多くの場合本文の要約だったり、主人公や場所・状況を表す名詞だったりしますが、場合によって読者に謎をかけるような、不思議な命名もあります。«Каша «Коля»»などはその仲間でしょう。必ずしも訳しやすくないですが、どんな風に訳すか、工夫しがいのあるところですね。

最後に:
今回の課題となった文章には、長いものと短いもの、難しいものと比較的易しいものが混じっていて、皆さんがそれぞれの判断でとり組んでくれたものを採点しました。
ですから、点数の比較という意味では、必ずしも公平な競争にはなっていないと思います。 «Балбес» «Царь зверей» «Я тебя съем»のような、比較的長く難しい文章に挑戦してくださった人たちは、優れた力を見せてくれたと同時に、細かいところでミスといえるものもできやすいわけで、比較的平易な文章を完璧に訳してくれた人に比べれば、若干点数が低くなっているかもしれません。
しかし、点数とは別のところで、そうした人たちの素晴らしいチャレンジは、きちんと受け止められ、評価されています。 もともと翻訳という作業は、ある言葉で書かれた作品を、その言葉を知らない人にどう伝えるかという作業で、鍵となるのは一つ一つの作品をどう理解するかという読解力と、それをどのような形で別の言葉の話者に伝えるかという表現力、そして目標とするのは、翻訳する言語(この場合日本語)の世界に新しい内容を加えて豊かにしていくことだと思います。
結果を採点したり比べ合ったりするのは、翻訳の腕前を上げるための刺激であって、翻訳の目標そのものではないと思います。 皆さんはそれぞれの翻訳作業によって日本語の文章世界に今までなかった新しい内容(小さな作品群)を加え、豊かにしてくれました。これを読むことで、私たち日本語読者は、今まで知らなかったロシアの文章世界(面白い孫やお婆ちゃんやぬいぐるみや小舟や気の弱い泥棒などが出てくる世界)を知ることができました。
そのことがこの催しの一番の成果だと思います。良い成績を取った人は、もちろん自信を持って、誇りとしてください。でも、もしも点数があまりよくなかった方も、決してがっかりしたりせず、自分の訳したものが読む人に新しい経験と刺激を与えたということを、喜びとしてほしいと思います。
皆さんがこの先も、ロシア語と日本語の翻訳の世界でたくさんの経験を積み、いろんなものを私たちに紹介してくださることを、心から望んでいます。

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Mariko Yamasita

Марико Ямасита
Почетный профессор университета Токай

 

はじめに指摘したいのは参加者全員がコインクールを真摯に受け止め、与えられた課題を果たしたことであります。無論 コンクールを組織した方々は参加者に必須要件を知らせ、明快な目的を提示したことによります。

評価の作業をはじめる前に母語としてのロシア語と、外国語としてのロシア語の翻訳に何らかの違いがあるのではあないかと思っておりましたが、違いは見られませんでした。ロシア人の子供たちは日本に住み、日常生活において日本人と接することが多く、特に会話が自然に身に付きます。ひとつだけ違いを指摘すれならば、日本人の子供たちは語彙が豊富であり、おそらく日本語の本をよく読んでいるからと考えられます。語彙の知識が十分にあると、ことばの「遊び」が生まれ、言葉がより「活きた言葉」の要素を帯びます。これが多分ロシア人の子供たちに足りなく、冷たい日本語になる場合があります。

今回のコンクールのような文学作品の翻訳においてはただ言葉から言葉へと移す直訳的に訳すとあまりよくない翻訳になります。文学作品の翻訳では翻訳者の想像力が許容範囲にあります。このことによってことばが活きて読者が興味を持って読むことが出来る。何点かは正にこのような翻訳があり、嬉しい限りです。

翻訳の勉強を続けたい将来の翻訳家に望むことは単語をなるべく多く覚え、翻訳でことばをたくさん使い、翻訳の前に作品を読み、最初に何が行われているのか理解し、状況を想像することです。想像と小さなファンタジーはことばに活きをもたらします。

 

Прежде всего хочется отметить, что все участники серьезно отнеслись к конкурсу и выполнили поставленную задачу. В этом, безусловно, сказывается работа организаторов, которые четко представили участникам цель конкурса, указав, что от них требуется.

Приступая к оценке работ, я думала, что в переводах детей, для которых русский язык родной, и детей, для которых русский язык иностранный, возможно, будет разница, но я никакой разницы не нашла, так как очевидно ‒ русские дети, проживающие в Японии, много общаются с японцами и в повседневной жизни усваивают навыки японского языка, в том числе разговорного.

Можно заметить только одну разницу – у японских детей больший запас слов, и не исключено, что они больше читают по-японски. Когда словарный запас достаточный, то появляется «игра слов», язык приобретает живость. Может быть, именно этого и не хватает переводам русских детей, их японский язык более сухой.

Если произведения художественной литературы, в том числе и произведения, предложенные на конкурсе, переводить дословно, просто перенося с одного языка на другой, то вряд ли получится хороший перевод. При переводе художественного произведения необходимо воображение переводчика, тогда язык становится живым и произведение вызывает интерес у читателей. Некоторые работы были переведены именно так, что порадовало меня.

Желаю юным переводчикам, которые будут продолжать учиться переводить, постоянно обогащать свой словарный запас, и, читая произведение, обязательно представить, что происходит, вообразить ситуацию. Воображение и маленькая фантазия придают языку живость.

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Khiroko Kodzima

Хироко Кодзима
Переводчик.

 

ごあいさつ
みなさんの翻訳を大変楽しく読ませてもらいました。
どれもこれも、それぞれの心が感じられます。
将来、きっと優れた翻訳者、作家、いろいろな専門分野での働き手になることでしょう。生きていくことの不思議さ、楽しさ、困難さ、すべてすべて学習に役立ちます。一番大切なのは、心遣いがあり、深く考えることができ、様々なことやものと結びつく気持ちを持つことです。自然とも、自分が生きている国とも、日々を暮らす家族、その住まい、住まいがある地域、そこに住む人々、お友達、そして地球と、世界とも結びついて、たった1回の人生を生きていきましょう。

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